レイスについて

何でもできる人間が死に、後悔するとしたら、人生だろうか。天災などで、正に理不尽な死を迎えたならば、考えるのはつまり「なんで俺が今、死ななきゃならないのか?」っつーことで。俺が生きていたら、すげえ色々できたのに、なんで死んじまったんだろうって

じゃあ、死んだ後でもできることを探すとする。例えばまだ生きてる人間が、しかも生前の自分のように前途有望な人間が、その可能性を達成できるようにしてあげる事だろうか。特に、何らかの偶然的要素によって失敗しそうな人間を助けること。それが、理不尽な死を迎えたことの意味

でもさあ、例えば明らかに俺より劣ってる人間が、正に偶然的要素によって成功してるとすんじゃん。それは、なんつーか、ありえねえだろ?良い結果ってのは、努力した分が報われてナンボであり、『落ちてた100万ドル拾っちゃった』みたいなのは実力じゃねえ。それによって、評価されるべき人間が評価されないのだとしたら、そいつあ間違ってるよなあ?間違ってることは、当然正すべきだよなあ?「理不尽」なんかに負けてたまるかっつーの