「メッセージ」について

私は日々の生活を送っていると、突然の直観を得ることがある。「あ、今日のテストはやばい」とか、「あ、信号が赤になる」とか、「あ、目の前の男は人間じゃない」とか。この日記では、主に三番目の類の直観について書こうと思う。
さて、ここで問題としたいのは、「何をもって、ある存在を人間と呼ぶべきか」という疑問ではなく、外見はほかと変わらない人間に対して感じる圧倒的な違和感である。何かに対して違和感を感じるということは、その対象から得られる感覚が違和感を生じさせるということだろう。しかしながら、「人間じゃない」と感じる相手というのは、視覚からして人間に他ならない。また、視覚以外の知覚から、相手が人間であるかどうかを判断できるとは思わない。非科学的ながら、「六番目の知覚」が最もふさわしい表現だと思う。そして、私は「六番目の知覚」により、なんらかの物理量を解釈しうる状態にあるのだと思う。ここで私が物理量を仮定しているのは、この違和感の発生が追試可能だからである。
しかも、この感覚が生まれるのは「相手が人間であるかどうか」を判断するためである。つまり、内在的にせよ外在的にせよ、何らかの法則によって「Aは人間である」あるいは「Aは人間ではない」ことが物理量として存在する。